カンボジア 行った後に 私が壊れた話。
・7年前の話
サラリーマンだった頃。
勤めていたグループ企業では カンボジアの貧しい村に 井戸を掘る という体験ツアー が毎年 行われていたので、参加してきました。
さっそく 井戸掘りを手伝いはじめるが
雨季だったカンボジアでは 湿度70% に 気温が37° 当たり前... 銭湯にあるスチームサウナに入ってる感覚がそのまま続く
→あっという間に日射病みたいな状態になり、ナヨナヨな私は戦線離脱wただのお荷物w
どのみち井戸掘りは 現地住民にお任せするようで、最初の数メートル 穴掘ったところで ツアーメンバーの作業は終了...
宿は トイレとシャワーがセットで
水圧がとても弱くて まともに洗えない
→ 現地の 水不足 を知る
入り口の隙間から 虫や ヤモリが
入ってきたりしているのを見ながら就寝。
翌朝 現地の学校で 子供達と交流
→子供達の目がキラキラと輝いていて、日本で働いてる時に接する人たちより よほど幸福そうに見えるのは何故なのだろうなぁ? とか考えたり。。
お昼ご飯に食べたカレーの川魚が
硬くて食べられない
(いかに恵まれた食生活で生きてきたか痛感)
トイレに行ったら 日本では見たことのない
大きなゴキブリが蠢いていて
ちょっと泣く。
昨日とは別の村の井戸(その前のツアーの人たちがちょっと穴掘り 現地住民が仕上げたもの)に移動し、最後の 石を敷き詰めて 固めていく作業をみんなで手分けしてやる。しんどい けど これは 井戸掘り...?
そして 第何回●● の記念撮影して 井戸掘りは終了。 既成事実作るツアー...?
社会の表向きキレイそうに見える活動の裏側なんて、こんなもんなのだろう。
・シェリムアップ
アンコールワットとアンコールトム
プール付きの三つ星ホテルに泊まる。
昨日の村との落差に衝撃。
アンコールワット周辺では
物乞いの少女たちに付きまとわれる😢
ポル・ポト政権の虐殺の痕跡
トゥールスレン監獄を見学
壁に飛び散った 生々しい血痕
棚にそのまま置かれた 死者の亡骸
歴史を伝える為とはいえ、
何故 彼らは ここで 人目に晒され
続けなくてはならないのだろう などと。
かつてあった 酷い歴史
今もなお 死者が見世物になっている事実
それに ただただ深く傷つき...
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日本に帰国してから 1週間
腹痛と発熱で出勤停止した後、
不眠症スタート
人間不信 と 疑心暗鬼 に取り憑かれ...
ハイになって 散財した後に
急転直下
忘れもしない1/27
三年次研修で 愛知の工場に
帰ってきている最中
同僚に何かを喚き散らした後
実家でも家族に喚き散らして
お前おかしくなってるよ と言われ...
そのままベッドへ直行
視界がグルグルと回った後に
世界がプツンと消えるような感覚
翌朝まで水風呂に浸かりながら
当時の彼女に電話? していた模様
翌日には 一人暮らし していた
関西に戻ったのだけれど
この辺りから 記憶がとても曖昧で
・ロシアに隕石が降ったニュースを見て地球が滅亡すると思ったり(誇大妄想)
・心配して駆けつけてくれた 幼馴染のことを 悪魔だと思って恐怖に震えたり(被害妄想)
・仕事道具が手の震えで持てなくなったり
・一桁の算数ができなくなったり
・音楽が頭の中で鳴りやまなくなって、襲われる?みたいな感覚になったり
・まわりが自分のことを嘲笑っているような感覚
・朦朧としながら車運転 →ファミリーマートの 車止めを乗り越え タイヤパンク
診療クリニック行ったら 女医さんに 妙な顔されて、お代は要らないからと言われて追い返されたり。
その後 ドクターストップがかかり
愛知に強制送還(^ω^)
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(紐付けされてる記憶)
カンボジアにいったのが
ちょうど 2012年 東日本大震災のあった翌年
その半年前、
グループ企業の 仙台工場が 軽く被災して
それの復旧につき 労組のメンバーで
仙台空港に飛んだのが 9月くらい。
一面 平らになった大地に
新たに作られていく「生活のシステム」達
破壊と再生
自然災害の前に 儚い 我々の存在